瀬戸内かみじまトリップ

松林を訪ねる離島旅「松と人 三つの時代の物語」法王ヶ原・弓削島
Island trip around Pinegrove / "Pine and people: The story of three eras" Hoogahara, Yuge island

松原

弓削島の「松原」

愛媛県越智郡上島町、弓削島の下弓削地区にある「法王ヶ原(ほうおうがはら)」。ここへの行き方を島の人にたずねたらきっと、「ああ、松原のことじゃね」と笑って教えてくれると思う。
昭和28年(1953年)、愛媛県指定の名勝地に指定されたこの場所には海岸に沿って約360メートルの松林が広がる。弓削島の人たちはこの場所を法王ヶ原という正式な名ではなく、「松原海岸」、あるいはもっと短く、「松原」と呼び慣らしている。
松林の横に伸びる幅6メートルほどの白い砂地の小道を挟んですぐ隣にあるのは、世界の海で活躍する船員を育成しようと島民主導で設立された「弓削商船高等専門学校」のグラウンドだ。
グラウンドを右手に松林を左手に小道を奥へと進めば、松原海水浴場、弓削神社、エコフィールド松原と人々が集う場所が連なり、夏には海水浴、秋には年に一度の祭りと、季節折々のにぎわいを見せる。けれど普段の法王ヶ原はとても静かだ。ジョウビタキのさえずりが高く細く響く。
白い砂地の小道から外れて松林の中へ入った。枝と枝との間から木漏れ日が差し込み、砂浜側に立ち並ぶ松の間から瀬戸内海のきらめきがのぞき見える。松葉や枝に当たる潮風の音を耳にしながら松の根を傷めないよう静かに歩いて行くと、生えている松の姿が決して一様でないことに気が付く。
古い松は幹回り2メートルを越え、若く幼い松は20センチにも満たずか細い幹に杭を添えられている。中には枯れて切り倒された松の切り株もある。松くい虫の被害に遭ったのか、他の松に被害が広がらないように黒く焼かれたものも見られる。 
ここから先は弓削島に暮らす人々と同じく法王ヶ原を「松原」と呼ぶ。そして昭和、平成、令和、3つの時代の、人々と松原との物語をたどる。

弓削島の「松原」

鬱蒼と茂る松林

「昔は枝がまっすぐな松ばかりじゃなく、もっといろんなかたちの松が並んどった。古い松は周りがふたかかえ以上あってのー、樹皮も今の若い松よりずっと深く割れとって、コルクみたいになっとった。みんながてんぽう松と呼んどった松もあったのー」
一緒に松原を歩きながら、自身が幼かった昭和10年代(1935年~1944年)の松原の様子を生き生きとした描写で話してくれたのは中山脩一さん(88)だ。
てんぽう松がなぜその愛称で呼ばれていたのか中山さんにもはっきりとした理由はわからないそうだが、もしかしたら江戸時代の元号、天保年間(1831年~1845年)に由来しているのかもしれない。その頃からあった松と言うことなのか、いずれにしても長い間人々に親しまれていたのだろう。時を経て昭和28年の松原には、樹齢300年以上の老松が287本存在していたと弓削町誌(当時)に記録されている。それほど昔からこの地には松が根付いていた。
松林を歩いていた途中で中山さんは1本の大きな松の切り株の前にしゃがみこんで年輪を数え「この木で50年くらいかのー」とつぶやき上空を見上げると、「昔の松原は松が茂ってのー、昼間でも暗くて下草も生えんほどじゃった。それにはのー、ちゃんとしたわけがあるんよ」と笑った。

中山脩一さん

人々が通う、島の水田地帯

弓削島に長く暮らしてきた人は、夏から秋にかけて台風が近づいて来ると「東風こちが吹きよる」とつぶやくことがある。
東風こちとはすなわち低気圧から流れ込んでくる東向きの風のことだ。特に弓削島の東岸に位置する松原は海上から吹き付ける強い東風こちを浴びるため、風に混じる塩分で農作物が枯れる、いわゆる「塩害」の被害を受けやすい。それを防ぐ防風林として海岸に沿って潮に強い黒松を植えたのが松原の始まりだったそうだ。
「ここはもともとは弓削島で一番大きい水田地帯だったんよ」、松原と隣り合う弓削商船のグラウンドの方を見やりながら中山さんは語る。その時代、松原がある下弓削地区の人々はもちろん、北に2キロほど離れた地区に暮らす人々も田の世話をするため台車を引いて歩いて通ってきたという。
水田地帯全体としては島一番の広さでも、ひと家族ごとに区分けするため個々が所有する田はむしろ小さい。収量もほとんどの場合、正月の鏡餅を作ったらあと少し残るくらいのもち米、家族で1年間食べるには少し足らないほどの米がようやく採れる程と、決して多くはなかったようだ。
それでも元来水に乏しく稲作には不向きな島で暮らす人たちにとって、水稲を育てることができるこの地はとても貴重な場所だった。
「そりゃあ食べることに関わるんじゃけん、昔の人の松への熱意はすごかったんよ。絶対人まかせにしないで、自分たちの田を守る分の松は自分たちの手で1本1本植えとったし、山から松を分けてもらって移植する日もあったんよ」、松との思い出を中山さんはそんなふうに語ると、「わしらは海水浴なんかせんかった。あれは昔は外の人が遊びに来てするものじゃったんよ。わしらは松林の中が一番涼しいって知っとったけん、そこで涼んだものよ。松の下で刈り取った稲や芋を干したりもしたねえ。雨が降ると慌てて取り込んで、台車に積んで家まで運んで、晴れたらまた運んで干し直す。大変よ」と続け、たくましい声で呵呵と笑った。

法王ヶ原(年代不明)平山和昭氏提供

憩いの風が吹く場所へ

昭和40年頃には松原の水田地帯はその姿を消し、あとには防風林として育まれてきた松林だけが残されることになる。それによって松原は、変わらず東風から島を守りながらも、暮らしのために欠かせない場所から、訪れる人たちを美しい景色と心地良い風、静けさで癒す憩いの場所へと、その役割を変化させていく。
「弓削島には結婚してから移り住んできました。授かった二人の娘と朝、松原を散歩したことを今もよく覚えています」、そう教えてくれたのは大谷巧さん(78)だ。
日常的に慣れ親しんでいた松原と大谷さんがより深く関わるようになったのは平成16年、大谷さんが61歳で会社を定年退職してからのことだ。偶然弓削神社の宮総代をつとめることになり、仲間たちと一緒にボランティアで境内の草刈りを始めた。
「そのうちに松原の海岸清掃をするようになりました。特に台風の後にはゴミがたくさん流れ着くんですよ。それを拾ってきれいにすると地域の人にとても喜んでもらえました」、活動を続けるうちに参加する人数も増え、大谷さんと宮総代経験者である仲間たちはともに平成18年10月、「NPO法人グリーンキャンドゥ」を立ち上げた。

大谷巧さん

松林を育む手

のちに弓削商船高等専門学校の学生も交えて月に一度ほどのペースで開催するようになった海岸清掃に加え、大谷さんたちは緑化活動を積極的に行うようになる。たとえば町内における少年式(※1)や卒業式での記念植樹、そして島の上水道の水源地である東広島市福富町(※2)との交流事業として実施される植樹などがあげられる。
昭和50年代に入り松原を始め弓削島の松は、松くい虫の被害に悩まされるようになっていた。昭和から平成に入ったのちも町役場による防除は定期的に続けられていたが、松の枯死を完全に食い止めることはできない。松の減少を少しでも食い止めようと大谷さんたちは苗木を植え始める。弓削島の人達にとって松はやはり特別な存在なのか、松原近隣の地区を中心に多くの人々が活動に賛同し会員は最大で300名を越えた。
松の苗木を植えるのに適しているのは12月から3月の間。寒い早朝から準備をし、3か月の間で80本ほどを松原に植える。植樹のために松原の地を重機を使って掘り下げてみるとへどろと砂、石で、とてもよい土壌とは言えなかった。大谷さんたちはたい肥を混ぜた土を周囲に重ね、潮に強いクロマツの中でも松くい虫に耐性のある抵抗性松を鹿児島県から取り寄せて植樹した。
苗木を支える杭の打ち方や枝と結ぶ紐の結び方まで、最初は一からプロの植木職人にアドバイスを受けようやく行うことができた。しかし「それでも何年かすると、枯れてしまう苗も多かったです」と、試行錯誤が続いた。
枯れた枝の伐採もまた大切な仕事だった。切った松は唯一許可を得られた山中まで軽トラックで運びこんで自分たちで積み下ろして処分しなくてはならない。それらの作業が全て、大谷さんたちメンバーによって担われていた。
松林はそれ自体が生きている。適切な時期の適切な剪定を要するし、害虫などによって病気にかかれば速やかに手当をしなくてはならない。空を覆うほど大きな老松も寿命が尽きれば枯れてしまう。その後を継ぐ若い苗木を育むことも重要だ。松林が生き生きと美しくあるためには、松を見守り世話をする多くの人の手が必要なのだ。
平成27年、グリーンキャンドゥはメンバーの高齢化によりその活動を終える。もし誰かが引き継いでくれたなら会を存続したかったですかとたずねると、大谷さんはこちらを真正面から見て黙ってうなずいた。

中山さんと大谷さん

エコフィールド松原ファミリーキャンプサイト

松林の敷地内にエコフィールド松原ファミリーキャンプサイトがオープンしたのは、グリーンキャンドゥが解散してから約5年後、令和2年夏のことだ。
松林の保全のため、利用期間を4月1日から10月末まで、利用者をファミリーに限定し、利用料1区画5000円の一部を保全活動に活用することを定め、それまで同じ敷地内に通年一般開放されていた無料キャンプ場をリニューアルオープンしたものだ。
リニューアル前のキャンプ場は、美しいロケーションと誰でも自由に利用できる手軽さから近年は特に利用者が急増、多くのキャンパーでにぎわう人気スポットだった。しかし大量に放置されるゴミ、深夜まで続く騒音、松林内への車両進入や焚火による松へのストレスなどが問題となり、その利用は平成30年から一時休止された。
一方で地域住民から、海開きをしても松原に人が少ないのはやはりさみしいと言う声が町役場まで届くこともあったそうだ。
「夏が来て松原に親戚や友達が来てにぎやかに過ごして。そんな大切な記憶が島の人達の心の中にあるのかもしれませんね」、上島町で観光業務にたずさわる上島町役場産業振興課・山上豊さん(30)の言葉だ。山上さん自身も、夏休みになると弓削島に「帰って」来るいとこと松原で泳ぎ、疲れれば松林の中で休んだ思い出を持つと言う。

キャンプサイト

暮らす人と来訪者とが憩う松原

暮らす人たちにとっても訪れる人たちとっても心地良い賑わいと、さらに松原の保全をかなえるにはどんなキャンプ場にしたらよいのか。そんな課題に山上さんとともに取り組んだのが上島町観光協会の伊藤揚介さん(49)だ。
「上島町は決して大きな町ではありませんが豊かな自然があります。多くの人を一度に受け入れることは難しいけれど、町の自然の大切さや魅力を一緒に理解してくださる方に僕たちができる範囲のことをできるだけ提供する、そんな小さなツーリズムが上島町には合っているのではと思います」、伊藤さんは話した。
思いをかたちにするため、リニューアルオープンするエコフィールド松原ファミリーキャンプサイトは5区画のみとし、1区画8×6メートルのスペースを確保、利用する家族でゆったり過ごせる場所づくりを実現した。
「実はもっとキャンプサイトを広げてはという話もありました。でも松原すべてをキャンプ場にするのではなく、いろんな人に松林でゆっくりと過ごしてもらいたいという思いがあって、キャンプ場は松林の一部に限定することにしました。それに何と言っても松林には地元の人も毎日の散歩やゆっくりした時間を楽しみに訪れますから」、伊藤さんは語る。

キャンプサイト草刈り作業

受け継がれる松林

さまざまな人が憩う松林をこれからも残していくために、今も保全活動は粛々と続けられている。
「松くい虫の被害を最小限にとどめるため冬には松1本1本に薬を注入します。また枯れている枝があれば夏までに伐採し、一方で新しい苗木も今は年に10本ほど植えていきます。草刈りは季節にもよりますが月に1度は行います。昨年は年に2度、役場職員と地域住民の方々70名ほどのボランティアを得て、松葉をかきあつめたりイタドリを除去したりしました。松は他の植物が周囲に生えると弱ってしまうため、栄養分になりうる松葉はできるだけ根元から取り除かなくてはいけません」、山上さんは丁寧に松林の保全について教えてくれた。
時代が移り変わるのとともに松原はその役割を変えていった。しかし理由や担い手が変わったとしても、松林を守る行為は確かに受け継がれているのだ。
現在、エコフィールド松原ファミリーキャンプサイトには、ゴールデンウィークや夏休みなど、長い休みに時間を取って訪れる利用者が多いそうだ。
「ありがたいことにリピーターが多いです。キャンプ場が休止している間、他のキャンプ場を利用したこともあったけれどやっぱり松原が一番落ち着くとおっしゃってくださったり、ご自身が50年以上、子供たちや孫もいっしょに繰り返し松原を訪れてくださる方もいます。キャンプを楽しむ日中も、松林はとても心地の良い木陰になってくれているようです」、伊藤さんが言うと山上さんは隣でうなずいた。
弓削島に暮らす人、弓削島を訪れる人、それぞれの松原海岸との思い出は、時を越えかたちを変えて、ひとつひとつ生まれてはつながれていく。

The inherited pinegrove

参考文献および資料:
弓削町誌、弓削町広報(1961年12月1日発行号、1968年11月1日発行号、1970年9月1日発行号、1990年8月号、2002年7月号)
※1)少年式:
愛媛県下で行われる年中行事。元服を起源とするとも言われる。上島町内においても、毎年2月に中学2年生が参加して実施される。
※2)上島町の水道:
上島町の上水道は、海底トンネルによって配水される広島県東広島市福富町を源流とする沼田川水系の水によってまかなわれている。愛媛県と広島県2つの県をまたぐこの分水は「友愛の水」と呼ばれ、島の暮らしを支えている。グリーンキャンドゥによる植樹は交流事業の一環として行われた。
弓削神社/法王ヶ原
エコフィールド松原ファミリーキャンプサイト
お問い合わせ先:上島町観光協会(TEL. 0897-72-9277)
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