瀬戸内かみじまトリップ

橋を巡る離島旅 「島と島、人と人がつながる、この町のかたち」 ゆめしま海道 ① 弓削島・Kamijima Tours, 島旅ヨット, 島旅サイクル
Island trip around Bridge / "The shape of the town where islands and islands, people connect with each other" Yumeshima Kaido (1), Yuge island

久司山展望台への道

誰かが上島町を訪ねてくれた時には、天気が良ければ、よく、弓削島の久司山展望台を案内する。
久司山展望台へ続く山道へは、法王ヶ原(松原海岸)内にあるエコフィールド松原ファミリーキャンプサイトを左手に見ながら海沿いに続く道を南へ下り、弓削商船高専高等学校の学生たちが暮らす白砂寮の1本手前の道を右に進めば良い。
そのまま道なりに行き8合目からは車や自転車を降りて細い山道を歩いて登る。ふたり並んで進むには狭く少しだけ急なその道を、落ち葉を踏んで滑らないように気を付けながら上がっていくと程なくして展望台が見えてくる。
建物は小さくどこか古びていて、もしかしたら少しがっかりするかもしれない。けれど階段を昇り切り天辺に立てば、橋と橋とで結ばれた離島が連なるまばゆい眺望が眼下に広がっている。
上島町は別々の町や村だった離島が集まり生まれた瀬戸内海のほぼ真ん中に浮かぶ町だ。生名島、岩城島、佐島、弓削島は全長約9.5km(※1)の「ゆめしま海道」で結ばれ、車や自転車、または歩いて、離島にいながらにして好きな時に好きなように島から島へとめぐることができる。久司山展望台に上がって瀬戸内海を眺め下ろせば、それぞれに魅力を持つ小さな島々が、橋と橋とで結ばれているこの町のかたちがわかる。

暮らしの中にある橋

そんな私たちの町の日常には当たり前に橋が在る。仕事に向かう途中の県道やみかん畑、そして家々が並ぶ路地裏…。実に様々な風景の中で、橋の主塔と橋桁を支えるために斜めに張られたケーブルが、朝焼けや快晴、雨や霧、夕暮れなどその時々の美しい空を背景に真っ直ぐ伸びる様を私たちは日々目にする。
橋が島の日常に溶け込んでいる様が見られる場所のひとつに、弓削島の弓削港周辺がある。この港の周りには、スーパーや役場、銀行、ガソリンスタンド、診療所など生活に必要な施設がほぼ徒歩圏内に集約され、島内の別の地区からはもちろん、佐島や生名島など、町内の別の島に暮らす人たちが車で橋を渡ってやって来る。
「ひさしいが(おひさしぶり)」、「どうしよん(この頃どうしているの?)」、久しぶりに行き会った、同じ町に暮らす違う島の人たちが駐車場で笑いながら立ち話している姿を、あなたも見るかもしれない。
どこまでも明るくのどかな雰囲気の中で海の方に目をやれば、ゆめしま海道を構成する橋のうち弓削島と佐島をつなぐ「弓削大橋」と、佐島と生名島をつなぐ「生名橋」、2つの異なる橋が屹立きつりつする姿が見え、久司山展望台から遠く俯瞰して見た橋々の今度は横顔を捉えられたような親しみが心に沸きあがる。
そして夕暮れ時には路傍ろぼうと同じく橋上にも照明が灯る。決して特別なライトアップが施されているわけではないが、点々と光が付いた橋の上を時折車のヘッドライトが流れていく眺めには、一日を終えて島から島へと橋を渡り、家へ帰る人たちを想像させる素朴な美しさがある。
移住してから、日中の買い物や夜の散歩で目にしてきた弓削港から見えるそんな景色を、ピーターセン・マシューさん(27、通称マット)はとても好きだと教えてくれた。

夢を応援してくれる島へ

今は弓削島に暮らしツアーガイドにたずさわるニュージーランド出身のマットさんが、兵庫県出身の妻ももこさん(28)と初めて弓削島に訪れたのは2018年。マットさんより一足先に弓削島に移住していたマットさんとももこさん共通の友人、斎藤サミュエル彰士さん(27、通称サム)を訪ねるためだった。
ニュージーランドの大学で化学工学を学んだものの「自分が何をしたいのかわからなかった」と話すマットさん。オークランドのベトナム料理店に勤めてはいたけれど、都市部は物価、特に家賃が高く、生活を維持するためにただただ忙しく働き続けなければならない日々を過ごしていた。都会での暮らしにすっかり疲れてしまったマットさんは、日本への旅が終わった後はももこさんとふたり、ニュージーランドの田舎に移り住む予定だった。
そんなマットさんの人生を変えたのがサムさんとの再会、弓削島との出会いだ。
マットさんと同じくニュージーランドでの都会の暮らしに疲れ、マットさんたちがやって来る数か月前に弓削島に移り住んだばかりだったサムさん。さらにさかのぼりサムさんより6年ほど前にカタマラン(双胴船)に乗って弓削島に移住し、乗船体験や船内宿泊サービスを手掛けていた父親のスプリンゲット・ダニエルさん(57)と母親の斎藤公美ひろみさん(54)とともに、すでに観光サービスを始めていた。。
「台風も少なくておだやかで船を守れる。地元の人達もどうぞ住んで!と薦めてくれて。仕事や住む場所だって島の人達が紹介してくれた」、移住当時の様子を思い返して公美さんは微笑み、「自然に恵まれているだけでなく、物価はニュージーランドに比べて安いから生活のためだけにあくせく働かなくてもいい。スーパーや銀行がそろっていてある程度以上便利な上、Wi-Fiと言ったインフラも整っている。それに会社を立ち上げたければ町役場や商工会もサポートしてくれる。ここは夢を追いかけたい人を応援してくれる町だと思う」とサムさんはうなずく。
自然の中で生き生きと働くサムさんやサムさんを通じて知るこの町の魅力が、マットさんやももこさんの心をとらえたのかもしれない。
実際に生活する際に必要な家探しや仕事探しは、サムさんやサムさんの両親、そしてその3人を通じて知り合った島の人達が手助けしてくれた。様々な人たちとのつながりに恵まれ、マットさんとももこさんは弓削島での暮らしをスタートさせた。

STEP BY STEP

移住後にマットさんとももこさんのふたりは「Kamijima Tours」を立ち上げ、現在は自転車や原付バイクでゆめしま海道やしまなみ海道の島々をめぐるツアーのガイドと、「ゆげ海の駅舎ふらっと」、「ゆげ海の駅」の管理を担っている。
Kamijima Toursが大切にしているのは島と島に暮らす人たち、そして島を訪れた人たちの「つながり」を生み育むこと。それをかたちにするためにふたりは変わらずあたたかく、いつもお客様の側に立つ。
たとえばWEBサイト。マットさんは、日本語があまりわからなかった移住当初、英語表記のない港を使った移動にとても苦労した自身の体験から、旅の一歩一歩を安心して進んでいけるようにと、港までのアクセスはもちろん券売機で押すボタンの場所まできめこまやかに記した。ページに書かれた”STEP BY STEP”の文字がとても心強い。
また予約時には食や文化など興味のあることをヒアリングしてお客様に合ったツアーづくりに役立てる。上島町を訪れる前から、マットさんの、常にリラックスしてのぞめるツアーはすでに始まっているのかもしれない。

まるで島に住むように

お客様を港まで迎えに行き、マットさんのツアーは朝10時過ぎ、ゆっくりと始まる。スタートはマットさんも愛する弓削港付近。午前中は弓削島を、午後からは2つの橋を渡り佐島と生名島を回る。リアルな生活を感じてもらうため、時には自宅にお客様を招き、日本式の給湯器やオーブンレンジを見てもらうこともあるそうだ。海外からのお客様にはとても喜ばれるという。
初めて弓削島を訪れた時「こんなに小さな島なのにおいしいカフェや居酒屋がいくつもある!」と驚いたというマットさん。ランチや休憩にはパン屋やカフェを訪れ、料理やスイーツ、そして店主との会話を楽しんでもらう。また、道すがら出会った人たちと挨拶を交わすことはもちろん、訪れた神社で偶然散歩に来ていた住民に歴史について教えてもらったり、神社を管理する人に缶コーヒーをふるまわれ30分ほどおしゃべりをすることもあるという。こんなふうに、島での暮らしを疑似体験できるマットさんのガイドに参加して、実際にこの町で暮らすことを検討し始める旅行者も少なくない。
さらにある時にはももこさんのアイデアで英語を学びたいと言う地元の高校生とカナダからのお客様を引き合わせた。その後も彼らはKamijima Toursを介してやり取りを続け、今はももこさんとマットさんのサポートで、高校生が島からカナダに手紙と島の特産物の海苔を送ろうとしている。
移住から約3年が経ち、その頃はあまり分からなかった日本語や知らなかった島の言葉で、マットさんは今、とても自然に会話する。海外からの旅行者向けに限定していたサービスを、これからは国内からやって来る旅行者たちも受け入れるように広げていきたいと考えている。

ゆげ海の駅舎ふらっとに集う人たち

マットさん、そしてももこさんが管理する「ゆげ海の駅舎ふらっと」はのんびりと橋の姿を眺めたい時におすすめの場所だ。海の方から差し込んで来る明るい陽射しの中、施設内にはいつも静かにBGMが流れている。そのジャンルは色々だけれどおしゃべりや勉強の邪魔をしないようにボーカルが入っていない曲を選ぶとももこさんはやさしい心配りを伝えてくれた。
海の駅への入港や係船手続を担い、コインシャワーやコインランドリー、トイレ、自転車用空気入れを備えたこの施設は、ヨットマンやサイクリストはもちろんのこと、それ以外の観光客も自由に利用することが出来る。セルフサービスで、7種類のホットコーヒーやアイスコーヒー、ジャスミン茶、煎茶、アールグレイが200円で楽しめるのも旅の途中の休息にはうれしい。そのコーヒーでちょっとひとやすみと、日中は島に暮らす大人たちが訪れることも多い。ドリンクを淹れるカップを作陶するのは弓削島の山間の集落に住む元船長だ。
夕方には島の高校生、高専生が、友達とのおしゃべりや自習をしようと学校帰りに立ち寄る。彼、彼女たちに人気の席は2階の展望テラス。海に面した窓には島に暮らす元プロダクトデザイナーが描いた絵が施されたカーテンが揺れ、ガラス越しには穏やかな瀬戸内海とその海上に架かる弓削大橋が見える。 
ももこさんはふらっとで様々な人たちに交流してもらいたいと、夜は島の居酒屋で働くマットさんの手作り料理とワインで英会話を楽しむ「大人の英会話」やハロウィンパーティー、こどもの夏祭りなどを開催してきた。
コロナ禍の中感染予防対策をしながらこうしたイベントを開催できたのは居酒屋店主や地元の有志グループなど「島のみなさんの方の協力があったから」とももこさんは振り返る。

ヨットと自転車で島々をコンプリート

一方でダニエルさんと公美さん、サムさんファミリーも、サムさんが「島旅ヨット」、公美さんが「島旅サイクル」と、それまで手掛けていたサービスをさらに進化させたサービスを始めた。
掲げるコンセプトは「エコと自由」。利用者は風の力を使って操船するカタマランヨットで島々をめぐるクルージングを体験できる他、そのヨットに乗せられた、太陽光で充電する電動自転車で、到着した島を自由にサイクリングすることができる。船と自転車とで上島町の離島をコンプリートできるサービスだ。
息子のサムさんは地元の人たちの力も借りながら “Asanagi”、 “Yūnagi” という名の2隻の木造のカタマランを新たに建造し、父親のダニエルさんは元は地域の集会所だった建物をサービスの拠点となる「島旅ベースキャンプ」にリノベーションするため、今もこつこつ作業を続けている。
その彼らのベースキャンプは弓削大橋の佐島側のたもとにある周囲300mほどの三ツ小島に建てられた。島の上空に架かる弓削大橋が影を作ってくれるから、ヨットも橋脚の下方に広がる砂浜も日陰になって、海で過ごして焼けた体をゆっくり休めてくれるそうだ。人工物である橋と自然とによって作り出される魅力があると、サムさんたち一家は話す。

島々がつながる景色のように

島でヨットを楽しみたいという旅行者がいたらサムさんたちのサービスへつないでいきたいとマットさんとももこさんは言い、もしていねいに島をガイドしてほしいという人がいたらマットさんを紹介するとサムさんは答えた。
友達同士、趣味も合い考え方も通じ合うサムさんに対し、マットさんは負けたくないと思うこともあるしそれ以上にお互いに協力できる関係でありたいと、とても素直な気持ちを伝えてくれた。
きっとマットさんとももこさん、サムさんの3人は刺激を受け合い助け合い、世界中から訪れる人たち、そして島に住む人たちと出会い続けながら、これからもこの町で暮らしていくのだと思う。
そんな3人のライフスタイル、そして3人の関係は、島と島が橋で結ばれている、久司山展望台から見えるこの町のかたちとどこか似ているのかもしれない。
それぞれにどこか似ていて、それぞれに違い、それぞれの魅力があって、そしてそれぞれつながりあっている。

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