瀬戸内かみじまトリップ

橋を巡る離島旅 「斜張橋を、渡って」 ゆめしま海道 ④ 岩城橋・弓削島、佐島、生名島、岩城島
Island trip around Bridge / "Cross the cable-stayed bridge" Yumeshima Kaido (4) Iwagi-Bridge, Yuge-Sashima-Ikina-Iwagi island

ゆめしま海道特集④岩城橋

岩城橋、最後の橋桁

愛媛県越智郡上島町、「ゆめしま海道」。1996年に開通した「弓削大橋」、2011年に開通した「生名橋」に続き、2022年3月には岩城島と生名島を結ぶ全長916mの「岩城橋」が完成、全線開通の時を迎えた。
それに先立ち、2021年6月、岩城橋で結ばれる生名島と岩城島の両側からつながれてきた橋桁の最後のひとつが架設された。前日には町内放送でアナウンスされ、朝6時過ぎに集まり始めた車の列は、7時過ぎには岩城島/生名島双方の海岸沿いの県道に長く長く伸びた。
「毎日LINEで工事の写真を送ってくれよる人がおったんよ。でも今日くらいはみんなで見に行こうってことになってねえ」と笑う近所の主婦グループ、「工事の様子を眺めるのが生名島に来る楽しみのひとつでした。だから今日は絶対に来たかったんです」と話す因島のサイクリスト夫婦、「とても貴重な体験だからこの子に見せたくて」と微笑む母親と小学生の女の子、新聞や隣県タウン誌の取材記者、工事関係者…。
小雨がぱらつき、岩城島側は高さ137.5m、生名島側は高さ132.5mの主塔の天辺が霞む中、橋上に設置されたエレクションノーズ(橋上クレーン)が船で海上に運搬されて来た重さ約60t/長さ約13.7mの橋桁を約1時間かけて引き上げていく様子を様々な人たちがそれぞれの思いで、傘を差し見守った。

わずか20cmの調整

実はこの「最後の橋桁」が架設される際には橋は完全につながるのではなく、連結部分におよそ20cmの隙間が開けられたままになっている。そしてこの20cmの隙間こそが橋をぴたりと結合させるために必要不可欠な隙間なのだ。
「橋桁に使われるコンクリートも鋼も、気温が高ければ伸び、気温が低ければ縮みます。この伸び縮みで張出先端部がずれないよう、現場では日々気温による伸縮データを記録し、そこから算出した20cmの隙間を敢えて空けているのです」
丁寧に教えてくれたのは鹿島・エムエムブリッジ・富士ピー・エス共同企業体岩城橋建設JV工事事務所の大村惠治所長(56)だ。大村さんがこの道に入ったのは30年以上前、これまでに7つの橋の建設にたずさわってきた。島と島とをつなぐ海道の建設にたずさわるのは岩城橋で2本目になるという。岩城橋でつながれる生名島、岩城島2つの島のうち、岩城島側の工事を担当している。
20cmの隙間という微妙な調整に使われたのは約300tの大型ジャッキ4台だ。これを主桁しゅげたの横に設置し、橋全体を陸側へ押し出すことで隙間を確保する。
後日、橋桁の吊り上げに使用した約200tのエレクションノーズを撤去し、重みでたわんでいた橋桁をまっすぐに戻したのち、気温上昇に伴い橋桁が伸びきる時間帯に合わせ、橋桁はジョイントされた。

難関を越えて

大村さんが初めて岩城島にやって来たのは地形や環境の調査をするために訪れた5年ほど前のこと。その1年後には島に単身赴任、以後約4年にわたり工事の現場を管理、のべ4万人にわたる人員をまとめてきた。
大村さんたちの工事は主塔を支える基礎作りからスタートした。
「山を切り開き強い岩盤をむき出しにするところから岩城橋の工事は始まりました。この地域の岩盤は風化した花崗岩で構成されています。中でも特に岩の割れ目からは水が滲み、そのまま放置すれば基礎岩盤の劣化の原因になり得ます。そこで軟らかくなった岩盤を全て削り取りコンクリートで置きかえてから基礎を作りました」
この基礎の底版の大きさは幅25m、縦30.5m、厚さ5mほど。満潮時には海水面より低くなるため、周囲に鋼矢板(こうやいた/海水が流入しないように設置するもの)の止水壁を作った。
岩城橋の主塔は全てコンクリートで作られている。岩城島側の、地面の下に埋まる基礎コンクリートの体積は3800m3(リューベ/立米。体積を表す単位)とコンクリート使用量の約1/4に達した。ちなみにミキサー車1台で運搬できるコンクリートは4m3。この工程を完遂するため、朝から晩までミキサー車が現場を行き来した。
大量のコンクリートで基礎が作られる場合、特に懸念されるのがコンクリートの温度変化から生じるひび割れだ。対策として大村さんたちは、その原因となるコンクリート打設時の温度上昇やコンクリート外部と内部の温度差をできる限り減らすため、一度に打ち込む量を減らしコンクリートを10層にも分け積み重ねた。
またコンクリートの品質にもこだわり抜いた。たとえば護岸壁などに使用されるコンクリートの強度は18~24N(ニュートン/コンクリートの強度を表す単位)。それに対し岩城橋の主塔のコンクリートは約2倍の強度、40Nを確保した。
「地元のプラント(工場)にとって橋に使うコンクリート製造が初めてだったこともあり、私も現場に入り試行錯誤の中コンクリートを練り上げました。橋桁の下にある橋脚を作るのに約1年、主塔の下半分を作るのに約1年、主塔の上半分を作るのにさらに1年を費やしました。岩城橋建設の工程で一番難しかったかもしれません」、当時を振り返り大村さんは語った。

© 鹿島・エムエムブリッジ・富士ピー・エス共同企業体

長さと高さを実現した、ハイブリット構造

こうして作られた高い主塔が支えるのは岩城橋の長い橋桁だ。開通時には、その中央支間長(ちゅうおうしかんちょう/主塔から主塔までの距離)は横浜ベイブリッジを抜き全国第7位の長さとなる。また地元の造船所にヒアリングし、橋の中央付近にある航路の高さは、地元岩城島から全世界に出荷される自動車運搬船などの大型船が安全に通過できるよう、海上45mを確保した。
これら長さと高さを両立する大きな理由のひとつが、異なる2つの構造部材を組み合わせた「混合桁」と呼ばれるハイブリット構造だ。
岩城橋の橋桁は、岩城島側と生名島側それぞれの斜張橋の端部から岬の先端付近までの192mを、重く、変形やひび割れしづらい「プレストレストコンクリート桁/以下PC桁(あらかじめコンクリートに圧縮力を加えることによって、コンクリートの課題であった引張力の弱さを改善したもの)」で、そして海上、すなわち橋の中央部の351mを、軽く、走行する際の振動を吸収しやすい「鋼桁」で構成されている。
鋼桁の重量は1mあたり約5t。コンクリートに比べて約1/4~1/6ととても軽く、作業の時間が少なく効率的に桁を連ねることができる。さらに桁そのものの重みで生じる橋のたわみも軽減されるため、航路を高く保持しやすい。
工事にあたっては、まずはPC桁を、橋上に組まれたワーゲン(移動作業車)で1ブロックにつき4mずつ/主塔から見て陸側と海側の双方に計14ブロックずつ架設した。そしてそれが完了したのち、PC桁と鋼桁の間を結ぶ「接合桁(鋼桁の中にコンクリートを充填じゅうてんしたもの)」を設置して異なる2種類の桁をつなぎ合わせ、さらに海上に向かって、鋼桁を、1ブロック目は「FC船(クレーンを搭載した船)」で、2ブロック目から最後の10ブロック目まではエレクションノーズで、引き揚げ架設していった。
「工事はひとつずつ、ゆっくりとしか進めていくことはできません」、ひとつひとつの工程を思いながらか、大村さんは言った。

ひとつひとつ、積み重ね

8月、主塔の頂上付近にある現場を見学することができた。
安全のために指定された長袖長ズボンに、眼鏡とヘルメット、墜落防止の安全帯を装着し、赤い格子で囲われたエレベーターに乗って現場まで昇った。その高さは地上130m以上。海上を真っ直ぐに伸びる岩城橋や島影、瀬戸内海が眼下に広がるとても貴重な風景を、ゆっくり眺められないほどとにかく高い。
取材陣に気を配りながら「毎日ここで仕事をしているから、僕はもう慣れました」と笑いつつ、「この高さですから何かひとつ小さなものを落としても大きな事故につながります。現場からけが人を出してはなりません。そうした意味でも橋の現場では雨より風の方が危険です」と大村さんは厳しい目で話した。現場では常に風速計が稼働し、風速10mを越えると作業は一旦中断される。
頂上付近の現場ではちょうど主塔の点検時に使用する手すりの工事が行われていた。
「所長、いいですか?」、声が掛かると大村さんはすぐ環に入り、ひとつのボルトを囲んで話し合いを始めた。こうしてひとつひとつの調整を積み重ねる。「工事はひとつずつ、ゆっくりとしか進めていくことができません」、大村さんの言葉の意味を実感した。

ケーブルと塔が、橋桁を支える

新しく開通する岩城橋をはじめ、ゆめしま海道3つの橋は全て、主塔から斜めに張られたケーブルで橋桁を支える斜張橋だ。使用されるケーブルの総数は弓削大橋48本、生名橋120本、岩城橋120本に及ぶ。
「このケーブルは『ストランド』という細いケーブルを現場で束ねて作ります。その場で作ることで運搬費などのコストを抑えられます。ケーブル1本あたり19本~31本、直径約2cmのストランドが使われています」、港や河川など様々な事業にたずさわってきた愛媛県東予地方局今治土木事務所上島架橋建設課の清水恒一郎さん(44)が教えてくれた。
ケーブルと主塔、桁から成る斜張橋が世界で初めて本格的に採用されたのは1950年代、ライン河に架けられたテオドールホイス橋でのこと。以来主塔からケーブルで橋桁を上から支えるこのスタイルは、橋の中間で桁を下から支える橋脚を建てる必要がないため海上や山間など様々な環境に比較的対応しやすいこと、塔と塔の間に太いメインケーブルを渡す吊り橋では必要となる巨大な「アンカレッジ(ケーブルをつなぎ留めるコンクリート製のブロック)」を橋の両端の陸地を削って構築する必要がないため、環境への負荷が少ないこと等の理由から、世界中で採用され、橋の長大化を実現している。
そして今でこそこの斜張橋が連なるゆめしま海道だが、実はかつて、別のかたちの6つの橋で島々をつなぐ計画が進められていた。

広島と愛媛を結ぶ、上島架橋計画

時は遡り1969年、日本中が「いざなぎ景気」で湧く中、のちに「瀬戸内しまなみ海道」と呼ばれる尾道―今治ルートを含む「本州四国連絡橋」の建設が、全国の交通や通信網などのインフラを整える「新全国総合開発計画」に盛り込まれ、着工に向けての動きが本格化していた。同年、連絡橋ルートには選ばれなかった弓削島/佐島/生名島/岩城島などから成る上島諸島における架橋を目指し「上島諸島総合開発協議会」が発足、その約2年後、同協会による「上島諸島架橋計画概要書」がまとめられた。第1回総会では中学生を含む地元住民らが通学や急病時など橋のない離島での暮らしの不安や不便を訴えた。
同概要書では、愛媛県側は弓削島/生名島/岩城島/佐島/赤穂根島、広島県側は因島/生口島を結ぶ合計6本の橋梁の架橋が描かれ、実現すれば愛媛県の5つの離島は瀬戸しまなみ海道の支線として、県境を越え広島県と結ばれる予定だった。6本の橋梁の形状は、両端と中央を弓なりのアーチが連ねるアーチ橋、箱型の桁が組まれた箱桁橋、吊り橋、三角形に組まれた部材を連ねた連続トラス橋など様々だったという。
しかし1973年、オイルショックの影響で瀬戸内しまなみ海道の建設は約2年延期され、愛媛県と広島県をつなぐ上島架橋計画は頓挫した。

今ここだからこそ出会える景色

時代の中で運命は時に思いがけない軌跡を辿る。
上島架橋構想は、2004年市町村合併で誕生した上島町内の、弓削島/佐島/生名島/岩城島を結ぶプロジェクトとして引き継がれた。3つの斜張橋で4つの島を結ぶこの海道は、のちに「ゆめしま海道」と名付けられることになる。
斜張橋は直線的かつシンプルな構造から、他の橋と比較しても景観と調和しやすいとされる。もし昭和期に構想された架橋が実現していれば無かったかも知れない景色を、私たちは今日、目にしている。
「今治と弓削島を結ぶ快速船から岩城橋や生名橋が見えるポイントがあります。その他岩城島の積善山からは3つの橋が架かる様を眺められたり、場所や時間によって主塔の間に沈む太陽を見られたりもします。特に岩城橋は他の2橋と比べて規模が大きく、橋の上から海上を行く大型船を真下に望むなど、これまでにない景色を楽しんでいただけます。様々な場所から魅力的な景観を発見していただきたいです」、清水さんは話す。
岩城橋はもちろんゆめしま海道の3つの斜張橋は、どの橋も自転車で渡ることができる。
たとえばサイクリング。信号のない上島町をゆったりと漕ぎ進み、海上に架かる3つの橋上でお気に入りの風景を探しながら、離島から離島へと自転車で巡る。それは斜張橋で島々が結ばれた上島町だからこそできる旅だと思う。
そしてその時私たちが渡る橋は、ひとつのボルト、ひとつのブロックを愚直に積み重ねた人々の手によって生まれた、今の時代だからこそ存在するかけがえのない橋なのだ。

  • ゆめしま海道
  • 鹿島・エムエムブリッジ・富士ピー・エス共同企業体 一般県道岩城弓削線 岩城橋建設工事

【参考文献および資料】
弓削町誌補遺、弓削町広報(1969年10月1日発行号、1971年3月1日発行号、1971年7月21日発行号、1971年8月15日発行号、1988年1月号、1990年4月号、1990年7月号)、広報かみじま(2006年5月号、2011年3月号、2017年9月号、2021年3月号)、「橋」の科学と技術/秀和システム、橋梁景観の演出/鹿島出版会、世界の橋の秘密ヒストリア/X-Knowledge、橋なぜなぜおもしろ読本/山海社

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