IK-4 濱田國太郎銅像台座

昭和10年頃に建てられた銅像は、太平洋戦争の悪化による物資不足を補うために発布された「金属類回収令」により、家庭の農具や鍋釜、お寺の梵鐘、神社の灯篭、小学校の二宮金次郎像などと共に例外なく供出されました。残された台座は戦争遺産といえます。

また、この台座がある丘の東北端には、昭和19年頃に高射砲陣地が設営されました。前にある造船所(旧日立造船因島工場)を空襲から守るためでしたが、造船所は昭和20年3月19日、同7月28日に空襲され、弾は飛行機に届かず被害は甚大となりました。

桜の時期のこの丘では、平和であることの幸せをかみしめながら花見の宴が開かれます。

濱田國太郎さんについては、台座近くにある立て看板をご覧ください。